仙台城の鬼瓦:金箔瓦と失われた大手門をたどる

宮城県の仙台城を知る手がかりは、屋根の小さな装飾にも残されています。発掘された破片と旧大手門の写真を見比べると、完全な姿では残っていない城の屋根に、少しずつ目を向けることができます。

1938年7月に撮影された仙台城の旧大手門
1938年7月の仙台城旧大手門。発掘された鬼瓦そのものではなく、往時の門を写した写真。 Mainichi Shimbun; public domain, via Wikimedia Commons.

発掘資料に残る金箔と屋根飾り

仙台市の解説では、菊花の鬼瓦を含む金箔瓦56点と、本丸跡から出土した200点以上の鯱瓦片が紹介されています。鬼瓦と鯱瓦は異なる屋根飾りです。同市は、両者に装飾の役割と火伏せの意味があると説明する一方、江戸時代初期の仙台城で金箔瓦が使われた目的については、今後の研究が必要としています。

発掘からたどる大手門

2023〜2024年の調査を扱う仙台市の報告には、大手門周辺から見つかった鬼瓦が記されています。また、1945年の空襲によって赤く変色した瓦も紹介されています。こうした出土品は、建築の歴史と、門が失われた時の物的な痕跡とを結びつけています。

破片を建物の姿へ結びつける

市の発掘調査パンフレットによると、大手門は藩主の通行や儀式の際に開かれる特別な入口で、高さ約12.5メートル、幅約20メートルありました。2024年に出土した鬼瓦は、戦前の屋根の姿を考えるための資料として位置づけられています。

2007年3月25日の仙台城跡の石垣。城跡の景観を紹介する参考写真。
2007年3月25日の仙台城跡の石垣。城跡の景観を紹介する参考写真。 Photo: Yamaguchi Yoshiaki, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons.

火伏せの意味をどう読むか

屋根飾りに託された火伏せの願いは、歴史的な象徴として受け止めることが大切です。出土品は、装飾が使われた場所や残された痕跡を伝えますが、超自然的な力を実証するものではありません。また、金箔があるというだけで、建物の政治的な意味が確定するわけでもありません。破片、解説、古写真を照らし合わせるところから、仙台城の屋根の歴史が見えてきます。

参考資料

執筆者:JAPAN ESSENCE 編集部

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